【祟り】平将門の首塚はなぜ移動できない?化学でも証明できない祟りの数々

そもそも平将門(たいらのまさかど)とは?

平将門についてザックリですが説明していきます。平将門といえば”平将門の乱”ですよね通称承平天慶の乱(じょうへいてんぎょうのらん)ともいわれていますが

どちらかというと承平天慶の乱の方が歴史的には正式名称ぽいですね・・

承平天慶の乱

関東では平将門が親族間の抗争に勝利して勢力を拡大。やがて受領と地方富豪層の間の緊張関係の調停に積極介入するようになり、そのこじれから国衙と戦となって、結果的に朝廷への叛乱とみなされるに至った。

将門は関東を制圧して新皇と自称し関東に独立勢力圏を打ち立てようとするが、平貞盛、藤原秀郷、藤原為憲ら追討軍の攻撃を受けて、新皇僭称後わずか2ヶ月で滅ぼされた。

引用:wiki

思いっきりwikiの引用を使いましたが、分かりにくい人の為にもっとザックリと。

 

簡単に言ってしまえば平将門は関東一帯をでの戦いに勝利しさらに調子に乗り「俺が新しい天皇だ」と言い出したんですね

それを聞きつけた平貞盛、藤原秀郷、藤原為憲によって2か月後には将門の軍はあっという間に滅ぼされてしまいますが・・

ここからが祟り伝説の始まりになります

平将門、見せしめに”さらし首”にされる

平将門の遺体は京都に運ばれ”さらし首”として見せしめにされました

その後将門の首は何日も腐ることなく、しかも生きてるように血色がよく目は見開き

夜な夜な発光し「胴体はどこだ!首と胴体を繋げ!!も一度戦をする!」といって叫び

その後は平将門の首は胴体を探し求め、光を放ちながら飛んでいき

いくつかに分裂して地上に落ちたという・・その首の落ちた場所の一つが東京の大手町にある”平将門の首塚”です

今も不自然な場所に残り続ける”平将門の首塚”

東京、大手町にある将門の首塚(Googlemap)▼
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直で平将門の首塚をGooglemapで見たい方は⇒Googlemapで将門の首塚を見る

実は過去に将門の首塚は何度も移動しようと工事したりと掘り返されようとしたりとしましたが

工事関係者が死んだり、病気で死ぬ人たちが頻発し工事を何度も断念した経緯があります

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首塚にまつわる祟りの数々

  • 1923年~1926年 関東大震災により大蔵省長が全焼後整地し立て直しをする際に首塚を撤去した後の立て直し計画だった為に大蔵省の大臣はじめ役人も含む14人が立て続けに謎の病死を遂げ、事態を重く見た大蔵省は立て直したばかりの省庁を一部取り壊し首塚が復活しました
  • 1940年 再び大蔵省庁に悲劇、省庁に落雷が直撃し炎上 これも首塚の祟りと恐れられ1923年にも行われた鎮魂祭が再び行われました
  • 1945年 これは終戦の年ですね、当時焼野原だった大蔵省庁一帯にGHQは目をつけて巨大な駐車場を作ろうと工事に着手開始、工事が進みブルドーザーで掘り返していたところに墓石が出てきてさらに掘り返そうとしたところ、なぜかブルドーザーが横転し運転手と近くにいた作業員2人死亡、詳しい事情を知る人からマッカーサーに首塚の祟りについて説明後、恐れをなしたGHQは首塚一帯を残すことに
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また大手町の首塚のある周辺のビル一帯の会社のオフィスには首塚に背を向けたら出世できないと言われていて

なんとその一帯のオフィスのデスク配置が首塚に背を向けないデスク配置になっている事は有名な話ですね

家康が作った将門の結界

祟りと恐れる人もいればそれを利用した人物がいます、それは徳川家康です。

強力な祟り神をきちんと祀れば強力な守り神になりえると考え、徳川家康は江戸時代に平将門にまつわる神社を7つ立てています

  • 鳥越神社
  • 兜神社
  • 将門の首塚
  • 神田明神
  • 筑土八幡神社(筑土八幡宮)
  • 水稲荷神社
  • 鎧神社

この七つの神社を作り強力な結界を作ったとされています

ではなぜ7つなのかなのか?気になりませんか?
実は平将門が崇めていた神様が妙見菩薩(みょうけんぼさつ)であります。その妙見菩薩のシンボルこそがあの北斗七星になります

もううすうす感じたとは思いますがこの七つの神社や祠をすべて線でつなぐと北斗七星が浮かび上がります

Googlemapで一括表示させてみる▼
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実はこの配置を考案したのは江戸で霊的な守護を行っていたあの天海がこの北斗七星にまつわる結界を考案しました

天海(てんかい)
天海は陰陽道と風水に精通していたとされています

 

この配置は平将門の強力な魔力を封じたまま霊的なパワーだけを利用するための配置になっています

つまりは将門の首塚はこの強力な結界の一部という事になりますね、

という事は一つでも欠けると災いが起きることは用意に想像がつきますね・・

 

もしこの結界が崩れてしまうと・・・もしかしたら強力な災いが起きてしまうかもしれませんね。

 

信じるか信じないかはアナタ次第です

 

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