不気味な白人至上主義集団「KKK」クー・クラックス・クラン

不気味な白装束集団「KKK」が再び世間の前に現れだしましたね

8月12日に起きたテロ「事件シャーロッツビル暴動」について語るには、

そもそもシャーロッツビル事件の全体像は見ないことには始まりませんよね・・・

ハフポスト

集結したデモ参加者らは、「血と土(blood and soil)」「白人の命こそ大切だ(white lives matt…

不気味な白装束集団、クー・クラックス・クラン

白装束集団といえば数年前位に日本でも白装束軍団が巷のテレビを賑あわせていましたね、

その集団は岐阜県で活動し電磁波がヤバイから(スカラー波)白装束を身にまとって電磁波から身を守るといったよくわからない集団でした

 

一応関係ありませんがwkiの解説載せときます

パナウェーブ研究所(白装束集団)

パナウェーブ研究所はその一部門として設立され、「スカラー電磁波は人体にとって有害である」と主張している。また、そのスカラー電磁波から身を守るために有効という白装束(長袖のコート型白衣・白マスク・白頭巾・白長靴)を身にまとっている。また、移動用の車両には、スカラー電磁波を防ぐ効果があるという渦巻き模様の図柄を貼り付けている。
1977年頃に任意団体として設立され、「千乃正法」の名で活動したことがある。1997年9月、岡山県英田郡作東町(現・美作市)で町道をふさいだとして、責任者1人が往来妨害容疑で逮捕された[2]。
その様子から、2003年の4月から5月にかけて活動がワイドショーなどで大きく取り扱われ、一時的に有名になった。また、研究所の名称に「パナ」を冠するため、パナソニック(当時の法人名・松下電器産業と松下電工)との関連性を問われたことがあったが、同社およびその関連会社とは完全に無関係である。

出典:wki

 

話がそれてしまいましたがKKK(クー・クラックス・クラン)という白人至上主義集団の事を書いていきます

1865年12月にアメリカのテネシー州南部の田舎町(プラスキー)で6人白人男性が奇妙な社交クラブを設立しました。

映画などで描写されたKKK(クー・クラックス・クラン)は「風とともに去りぬ」「マルコムX」が有名です

気になる方は見てみてください

その後お遊びノリの団体がその後本格的な集団に変貌していきます・・・

悪ふざけ集団が本気の黒人排斥集団へ変貌

そもそもの発端は1865年に集結した南北戦争終戦後に黒人奴隷の開放がなされましたが、

まだ南部には白人の優位性を取り戻そうといった気運が高まっていて

※北軍の勝利にて終結

南北戦争

1861年から1865年にかけて、アメリカ合衆国の北部諸州とアメリカ連合国を称した南部諸州との間で行われた内戦である。奴隷制存続を主張するアメリカ南部諸州のうち11州が合衆国を脱退、アメリカ連合国を結成し、合衆国にとどまった北部23州との間で戦争となった。この戦争では史上初めて近代的な機械技術が主戦力として投入された。

出典:wki

メンバーの6人も黒人奴隷時代を懐かしんで白色の服装で夜更けに練り歩き、

それを道行く人が「南部の戦死者の亡霊だ!!」と騒ぎ立てる姿を見て楽しんではいましたが

 

徐々に悪ふざけがエスカレートしていき白の服装が白装束に白頭巾姿に変貌し、

さらには馬に乗り松明を掲げ街中を走り回るようになりました

ここから本格的に変貌を遂げていきます

 

そうゆう活動をエスカレートしていくうちに評判を聞きつけた白人優越主義者達が会に集まりはじめ、

1867年にはクー・クラックス・クランの入会希望者かなり膨れ上がり

テネシー州の州都ナッシュヴィルにて初の全国大会が開かれました。

 

そこで旧南軍の退役軍人のネイサン・フォレスト将軍がクー・クラックス・クラン(KKK)の最高指導者に選ばれます

 

というのも彼自身はもともと奴隷商人という立場もあったことから、

「奴隷解放」「黒人の公民権の獲得」には否定的な立場をとっていて、敗戦したからといって政府の方針は簡単には飲めるはずもなく・・・

※北軍の勝利により奴隷解放となっている

 

とは言いつつも表立ってアフリカ系の人々を奴隷として扱うことは法的に禁じられているので、

徐々にやり場のない苛立ちに変わり、黒人はもちろんのこと、”彼ら”を擁護する白人に対する暴行へと発展し

暴力は過激にエスカレートしていき、ついには殺人事件にまで発展していきます・・

 

当時の会員数は約55万人にまで膨れ上がり、大きく膨れ上がりすぎたKKKはフォレスト将軍でさえ手に負えない存在になっていましたが・・

「黒人の投票権の剥奪」という連邦政府からの妥協案と引き換えにKKKの解散を引き受け正式にKKKは解散を宣言します

 

このようにして第一次クー・クラックス・クランは幕を閉じる事になりましたが、

しかし第二次クー・クラックス・クラン(KKK)は1981年に凶悪さを増して復活してきます

ここから先は描写が過激になっていきますので

また今度。。。

信じるか信じないかはアナタ次第です

 

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