ノストラダムスの予言は成就していた!?ノストラダムス4つの予言

”1999年 7の月。

空から恐怖の大王が来るだろう”

16世紀のフランスの予言者、ノストラダムスが残した「1999年」の予言は世界的に知られ、実際、西暦1999年には、この予言にまつわるさまざまな事件や騒動も起こりました。

結果としては、「1999年」に世界が滅亡することはなく、以降、ノストラダムスの名前がメディアで語られることも激減してしまいました。

しかし、彼の予言はただのウソだったのでしょうか?

ここでは1999年前後に起こったノストラダムス現象を解説すると共に、ノストラダムスが残した4つの恐るべき予言をご紹介しましょう。

 

1.日本における”ノストラダムス現象”の3段階(1970年代~1999年)

ミシェル・ノストラダムス(本名:ミシェル・ド・ノートルダム)は16世紀フランスの医師であり、そして予言者です。

若き日の長い遍歴を経て、彼がマルセイユで医師としての活動を始めたのは40代に入ってからでした。

この時代、ヨーロッパではペストが大流行していましたが、医師としてペスト対策の活動を行っていたノストラダムスは、いち早くペストを媒介しているのがネズミであることを看破し、当時の伝統療法の常識を逸脱するアルコール消毒や熱湯消毒を試みたとする伝説が残されています。

50代にはいると、ノストラダムスは貴族のサロンに出入りするようになり、予言者として本格的に活動を始めます。

彼の予言はサロンでも評判となりました。

こと、彼の著作である『ミシェル・ノストラダムス師の予言集(『諸世紀』)は大きな反響を起こし、その噂は国王アンリ2世の耳にも届きます。

この『諸世紀』にあるのが、かの有名な「1999年七の月」の予言です。

会見を経て国王との知己を得たノストラダムスは、国王から「常任侍医兼顧問」の称号を与えられ、王宮に足繁く出入りする身分となります。

生前にその名声を勝ち得たノストラダムスは、欧米では古くから広くその名が知られており、彼の予言に関する議論も時代を跨いで活発に行われていましたが、日本で彼の名が一般的に知られるようになったのは1970年代のことでした。

それでは、日本での”ノストラダムス現象”がどのような変遷を辿ったのか、年代別に3段階に分けて紹介いたしましょう。

 

①1970年代~『ノストラダムスの大予言』のヒットから始まるオカルトブームの時代

ノストラダムスの存在が日本国内で知られるようになったのは、1950年代以降のことです。

しかし、多くの研究家は当初、ノストラダムスを文学史上の人物と位置づけており、その知名度はごく限られたものでした。

日本国内で、その名が爆発的に知られるようになるきっかけを作ったのは、1973年に作家の五島勉が出版した著作、『ノストラダムスの大予言』でした。

当時、日本国内ではオイルショックや公害と言った深刻な社会問題が相次いで発生し、社会不安が醸成されていました。

米ソや中ソの対立による全面核戦争の可能性や、東京直下型地震や富士山噴火の噂が囁かれ、SF作家である小松左京の作品『日本沈没』が大ヒットするなど、終末論的世論が広がっている時代でもありました。

そんな中、五島勉はそれまで文学史上の存在として学術的に扱われることの多かったノストラダムスを、「1999年、七の月」といった破滅的な内容の予言や、創作的な伝承を含めた「予言者」として紹介し、社会不安に乗じるかたちでベストセラーとなりました。

『ノストラダムスの大予言』のヒットは、後に続くオカルトブームの嚆矢ともなり、以後の時代に影響を与えることになります。

 

②1980年代~天文現象のブームからニューエイジ思想が定着した時代

1970年代のオカルトブームは、80年代に入っても社会的影響を強く残すことになります。

1980年代には、1982年の「惑星直列」や1986年の「ハレー彗星接近」といった天体現象が地球に破滅的影響をもたらすであろうと考えられていました。

この時代、オカルトは70年代の表層的ブームから、より根幹的な思想=いわゆるニューエイジ思想へと変化していきますが、このニューエイジ思想に大きな影響を与えたのが『ノストラダムスの大予言』でした。

『ノストラダムスの大予言』の影響を強く受けた宗教家のひとりに、松本智津夫=後の麻原彰晃がいます。80年代に彼が立ち上げた「オウム神仙の会」は後に拡大し、「オウム真理教」になります。

1980年代後半のバブル景気によって、70年代の終末論的な社会不安は一時その影を潜めますが、ベルリンの壁崩壊をきっかけに起きた冷戦の終結や、その後のバブル景気の破綻、世界不況といった情勢の影響で、再び先行きの見えない社会への不安が醸成されていくことになります。

 

③1990年代~予言された「1999年7月」の到来と、ノストラダムスブームの終焉

冷戦終結は世界平和をもたらすことなく、むしろ世界は混沌とした情勢へと突入していきます。

1991年に勃発したアメリカを中心とした多国籍軍とイラク軍との戦争、いわゆる「湾岸戦争」は、東西冷戦に変わる新たな世界の軍事対立の構図を浮かび上がらせるものとなりました。

国内では1995年に阪神淡路大震災が起こる一方、オウム真理教による地下鉄サリン事件を始めとするテロ事件などが、再び社会不安を醸成します。

1999年が近づくにつれ、ノストラダムスは再び注目を集めるようになり、テレビを始め、各種メディアが取り上げることも増えていきます。また、当時普及し始めたインターネットが、ノストラダムスに関する新たな都市伝説を産む母体ともなりました。

しかし、1999年の7月を迎え、結局ノストラダムスが予言した「恐怖の大王」が空から降りてくることはありませんでした。

1999年8月以降、それまでのノストラダムスブームは一気にその影を潜め、メディアが取り上げる機会も激減していくことになります。

 

2.ノストラダムスの予言には、的中していたものもあった!驚愕の予言4つの事例

日本における”ノストラダムス現象”は、1973年の五島勉の著作から始まり、1999年までのわずか30年足らずという短い期間で収束してしまいました。

これを持って、単なる一過性のブームに過ぎなかったと切って捨てることもできますが、果たしてノストラダムスは「一発屋」で終わるような”予言屋”に過ぎないのでしょうか?

16世紀にフランス王室にその著作を認められて以来、21世紀の今なお、欧米においてノストラダムスはしばしば研究対象として注目されています。

それは、彼が「1999年7の月」以外にも多くの”予言”を残し、その中には的中していると言われるものも数多く存在しているからです。

その総数は数百の単位におよび、彼の”予言者”としての能力が傑出したものであったことを伺わせます。

ここでは20世紀以降の出来事に関して的中しているされる予言の事例を原文を交え紹介しましょう。

 

①太平洋戦争勃発(真珠湾攻撃)

La legion dans la marine classe

Calcine , Magnes soulphre& poix bruslera :

Le long repos de lasseurée place:

Port Selyn, Hercle feu les consumera.

これは「1999年7の月」の予言が記された『ミシェル・ノストラダムス師の予言集』中の「百詩篇」と呼ばれる部分の一説です。

研究家によれば、この部分を翻訳すると概ね「海の艦隊の一軍が火薬で火を放つ。その炎は真珠の港を焼き尽くすだろう」という意味になるそうです。

真珠の港”とは、ハワイのオワフ島にある”真珠湾”を指し、これは日本による真珠湾攻撃を予言した一説であると解釈されています。

 

②原爆投下(広島・長崎)

Aupres des portes & dedans deux cités

Seront deux fleaux onques n’aperceu vn tel ,

Faim dedans peste , de fer hors gens boutés,

Crier secours au grand Dieu immortel.

同じく『百詩篇』の一節であるこの文章は「2つの港町で大きな災厄が起こり、ペストと飢餓で多くの人が死ぬだろう」と訳すことができます。

研究家は、ここに書かれている「2つの港町」とは原爆が投下された広島と長崎を指し、「ペストと飢饉」とはかつて”黒死病”とも呼ばれたことから、原爆で焼死した犠牲者の黒焦げの遺体の比喩であると解釈しています。

 

③チェルノブイリ原発事故

quarante degrés ciel bruslera,

Feu approucher de la grand cité neufue,

grand flamme esparse saultera,

Quant on vouldra des Normans faire preuue:

この一節は「五と四十度の空は燃えるであろう。新しい都市の近くで爆発が起こり、火が撒き散らされるであろう」と訳せます。

冒頭の「五と四十度」という数字の解釈でいくつかの異論がありますが、近年の研究家はこれを”北緯”を指すものであるとし、チェルノブイリ原発事故を予言しているとする意見が強くなっています。

 

④ ダイアナ元イギリス皇太子妃の事故死

Le penultime du surnom du prophete

Prendra Diane pour son iour & repos:

Loing vaguera par frenetique teste,

Et deliurant vn grand peuple d’impos .

この一節の二行目にある「Diane(ディアナ)」は英語式に表記すると「Diana(ダイアナ)」となり、この行を翻訳すると「ダイアナが安息に入る」訳すことが可能です。

「安息」とはすなわち「死」を意味しており、この一節はダイアナ元イギリス皇太子妃が事故死することを予言しているという説が有力です。

 

まとめ

ノストラダムスの予言の多くは詩文として書き残されており、時代背景によってその解釈は異なってきます。

1999年以降、日本ではあまり注目されなくなったノストラダムスですが、いつまた、戦慄すべき新しい予言が発見されても不思議はありません。

先行きの見えないこの時代に、ノストラダムスは何を語りかけてくるのでしょうか?

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